同じ日々の繰り返し

雑誌の後ろのほうに載ってるどうでもいいコラムが大好きなので真似して書いています。あくまで私見です。

青木くんがミスターアオキングになった話  

 青木は、私が小学生のころの親友のひとりだ。
 一緒に虫捕りに行ったり、公園の川にじゃぶじゃぶ浸かって魚捕りしたりしていた。
 
 青木は今思えばめちゃくちゃ爽やかな容姿で、英国少年のようだった。彫りの深い顔に、澄んだ色の目がいつも光っていた。


 あと青木はとてもシャイだ。人前で目立つようなことは絶対にしないし、みんなの前で発表みたいな時には顔が真っ赤になるような奴だった。

 

 転機は小4の音楽の時間だった。
 音楽室に移動し授業が始まってしばらくすると、学校あるある定番のあのイベントが発生した。
 不穏な音とともに、ハチが音楽室に侵入してきたのだ。しかもめちゃデカい。デカくて黄色っぽかったから、おそらくスズメバチだろう。
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 こうなってしまうともう授業どころではない。ハチはクラス全員の上を飛び回るパフォーマンスの後、バッハやシューベルトの顔面あたりをウロウロし始めた。


 怖がって逃げようとする者、興奮してハチに近寄ろうとする者、気にせず授業を続けたい者などクラスのベクトルは一気にバラバラになり、みんなで決めた学級目標なんて吹き飛ばすぐらいの秩序の崩壊が音楽室で起こっていた。

 私は“どうでもいい者”としてぽけーっと秩序崩壊を眺めていた。
 すると、ハチはファンサービスのごとく私たちのほうへ猛スピードで飛んできた。
 悲鳴や驚きの声があがるのと同時に、視界の端で青木が椅子の下に手を伸ばすのが見えた。
 次の瞬間、パン!という軽い音が聞こえ、ハチの姿が見えなくなった。

 何が起こったか分からないという静寂の後、クラスの注目は青木に集まった。青木の手には、ケースに入ったリコーダーが握られていた。足元には動きの止まったハチ。
 
 青木はリコーダーひと振りで凶悪なスズメバチをやっつけたのだ。シャイな青木がクラスのヒーローになった瞬間だった。
「すげえ!」「マジかよ!!」「青木www」
 バラバラだったクラスが青木のおかげでまたひとつになった。称賛の声が止まらない中、誰かが言った。


「ミスターアオキングだ!!!!」


 小学4年生の私は、なんかこの“ミスターアオキング”の語感の良さとかバカさ加減がめちゃくちゃ面白くて死ぬほど笑った。いまだに面白い。誰が言ったか覚えていないのが本当に悔しい。

 時間にしたら数分の出来事だが、“あのシャイな青木がミスターアオキングになった”という衝撃とバカバカしさが一生忘れられないものになった。

走馬灯にはリコーダーを握った青木の姿が出てくるだろう。

 

今後青木に会える機会があれば、「おぉミスターアオキングじゃん!!!」って言ってやりたい。

最後の晩餐を決めた

時期尚早だが決めた。今朝決めた。

 

 

先月、バイト先の塾で中1の生徒が”2020年3月20日地球滅亡説”*1をガチで信じていてグッタリしていたので「じゃあ最後何食べる~?」と滅亡説を否定しないままおどけて聞いてみると

「焼肉!!!!」

と瞬時に笑顔になり答えた。元気。

 

隣にいた生徒にも「○○くんは最後の晩餐どうする~?」と地球が滅亡する前提で聞くと

「んんー高級なもの食べたい、寿司とか」

と頭脳派の答え。

 

「先生は?」と聞かれ一瞬戸惑ったが、

「体に悪いもの食べたいよねーマックのポテトとか」

と中学生以下のバカ晩餐しか思い浮かばなかった。

 

一つずつイメージを分析していくと、

焼肉…おいしい・高級・非日常的

寿司…おいしい・高級・非日常的

マックフライポテト…おいしい・体に悪そう・バカ

となる。

 やっぱり人生の最期には、普段食べられない美味しいものを食べてフッと消えたいというのが人間の総意なのだ。

 

しかし、私はこの総意をひっくり返す食べ物の存在を知ってしまった。

では発表します。

私の最後の晩餐は…

 

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たらみのどっさりミックスヨーグルトデザート

 

これに決まった。マジで。

 

先週初めて食べたときに、あまりのおいしさに脳が追い付いていなかった感覚がうっすらあって、また買って食べてみたらやっぱり常軌を逸したゼリーだった。

ほんと日本の主食がコレにシフトチェンジしてくれないかと願うほどに美味しい。なんで日本人はまだ米なんか食ってるんだと苛立つほどに美味しい。

いわゆるヨーグルトゼリーなんだけど、とにかく旨味がめちゃくちゃ押し寄せてくる。

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ほんとに信じられないぐらいのうまみで、口に入れる少し前からもう美味しい。おそらくフタを開ける時に飛び散る汁が、脳と味覚神経をマヒさせているのだろう。

口に入れた瞬間の味は”甘い”よりも”美味い”が勝つ。その美味さは、一人暮らしの男が自室で「うんまぁ」とそこそこのボリュームで声に出してしまうほどだ。

 

高級でも非日常的でもない、旨味異常ゼリーが私の最後の晩餐だ。

地球滅亡の直前には我を忘れるようにたんまり食べたいし、寿命で死ぬような場合でも、脈拍が少なくなっていく病床の私の口にちゅるんって放り込んでほしい。

 

箱買いできる最後の晩餐ってなんだよ、と思いつつまた食べたくなってしまった。100円しないから爆買いできるけど、マジで依存症になっちゃいそうだからやめておく。

 

ちなみに最後の一コ前の晩餐は、たらみのどっさりナタデココヨーグルトデザートに決めた。

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ほんとに美味しいので食べてみてください。マジでトリップしそうになるから気をつけて!

*1:マヤ暦とかによるもの。滅亡はしなかったけどこの日ワニが死んだ。

マスクを買ったらめちゃくちゃ気持ち悪くなった話

ばいきんまんみたいに、パンチ一発で青空の向こうにキラーン!って飛んでってくれればいいのに。

今世界中を飛び回っている菌はばいきんまんよりはるかに手強く、私たちの生活をじわじわと痛めつけている。
大学はオンライン授業、就職活動は一旦ストップとなり、アルバイトと買い物以外の時間はずーっと自宅にいる。やりたかったことができる!と一度は意気込んだものの、自宅というオアシスで無限に湧き続けるエンタメの泉はとても魅惑的で、映画やアニメ、ゲームなどの娯楽に溺れている。

ずっと自宅にいて感じたことが、消耗品の減りの速さだ。食べ物はもちろん、ティッシュやトイレットペーパーも替えるペースが明らかに上がっている。
ふと確認すると、我が家のトイレットペーパーは残り1ロールになっていた。
3月初旬、オイルショックのようにトイレットペーパーを買い求める映像を毎日見ていたが、今トイレットペーパーは売っているのだろうか。心配になり、買いに行くことにした。

陽が伸びてまだ少し明るい午後6時ごろ、近所のドラッグストアのドアをくぐると、レジでもない場所で15人ほどが列をつくっていた。列の先頭にはネームプレートをさげた店員が列を見張る形で立っている。
どしたんだろー。と思いながら一度は通り過ぎたが、今の時期ドラッグストアでつくられる行列はアレしかない。マスクだ。

引き返して列のほうへ向かっていると、ガラガラとワゴンを押した店員がやってきた。ワゴンには直方体のパッケージが積まれていた。やっぱりマスクだ。
私は数年前に買った50枚入りのマスクが残り数枚になっていたのを思い出し、買わなきゃな、と反射的に列に加わった。やがて列は進んでいき、40枚入りのマスクが店員の手から私に渡された。
「ただいまマスクの販売を開始いたしましたので、お求めの方は入口付近までお越しくださーい!!」
やたらテンションの高いアナウンスが店中に響き渡り、マスクを着けた人々ができたてほやほやのマスクを求めて早足になっていた。

私の心配をよそにトイレットペーパーはパンパンに陳列されていて、奇跡的に手にしたマスクといっしょに会計を済ませ、ドラッグストアを後にした。
ゲリライベントにたまたま遭遇し、超レアアイテムを手に入れたことで若干気分が高揚していたが、自転車をこぎながらあれこれ考えていると段々といたたまれない気持ちになってきた。

 

人々の、そして自身の”エゴ”がむき出しになっていたあの光景が、めちゃくちゃ気持ち悪かった。

連日のニュースやSNSで「予防のためにマスクをしようね、でもマスクはずっと品薄だよ」という情報が人々の脳に張り付いているため、マスクの価値が極限まで上がってしまっているという現状がある。だから人々は外出自粛が叫ばれる中ドラッグストアに向かい、倉庫からマスクがやってくるのを心待ちにして行列をつくる。店員は”すげーもん手に入りましたよお!!”と言わんばかりのアナウンスをして、いい大人たちがその”すげーもん”を手に入れるため心拍数をあげて早足になる。

すべてが「感染予防」というより「マスクの確保」を目指した動きになっているように思う。

冒頭でいったように私はアルバイトと買い物ぐらいでしか家から出ていなくて、マスクを着けているのはその数時間、数分の外出だけである。

だったら買わなくてよくない?と内省した。病院に行く人や電車に乗る人など、感染リスクの高い人に譲るべきだった。私の自宅にはまだ数枚残っているし、様々な自作マスクの作り方もSNSでよく見かける。

 

たまたま遭遇した”レアアイテム”マスクの販売に心を躍らせ、我先にと少し早足になって行列に加わった私のエゴが本当に恥ずかしい。

アンパンマンを助けるバタコさんのように、人のために動くことのできる人になりたいと思った。働く人々に向かって「新しいマスクよ!」ってぶん投げたい気持ちだ。

さまぁ~ず

 「好きな芸人だれ?」と聞かれると毎回迷う。その日その時によって好きランキングが常に変動しているからだ。ちなみにこれを書いている今の1位はハリウッドザコシショウ。最高。生で見たら笑いすぎて窒息死するだろう。

 他にもオードリーやハライチなどの中堅から、コマンダンテや金属バットなどの若手まで様々な芸人が私の脳内のランキングで上位争いを繰り広げている。しかし、ランキングには入らない、いわば”殿堂入り”の芸人がいる。それがさまぁ~ずだ。結局これだよなーと常に思わせてくれる存在であり続けている。色んな場所に旅行に行っても「結局自分の家が一番落ち着くー!!」というあの感覚に近い。さまぁ~ずのレギュラー番組の数が彼らの持つ実力と安定感の証拠であり、私はそれらの番組に支えられ続けている。

 三村派か大竹派かと聞かれたら、大竹派だ。なんなら、好きすぎて見た目も中身も大竹になりたいと思っている。「理想の人物は?」という質問なら迷わず「大竹一樹です」と真顔で即答できる。学生時代は剣道部だったらしく他のおじさん芸人と比べると体の芯がしっかりしている感じがあるし、どこか威厳もある。体型も維持しているからハワイロケとかで堂々と白タンクトップを着られるのだ。ブヨブヨおじさんが白タンクトップを着ちゃうともれなく裸の大将になってしまう。私の少しナナメな性格も大竹の影響なのかもしれない。その独特な視点から生みだされるトークが最高に面白くて、ああいう人になりたいな、と強く惹かれてしまう。そのくせに綺麗な奥さんがいて、子供も3人目が産まれようとしている。毎朝幼稚園へ子供を送るのは大竹パパの役割で、休日も公園に行ったり意外とちゃんと子育てしているのもまたいい。理想。

 あと単純に服装が好み。モヤさまや内さまなどの衣装をまとめた「さまぁ~ずの衣装」という超絶マニアックなサイトがあるのだが、私はそれを参考に服を買ったりする。一流芸能人の衣装だから当然同じ商品を買えるわけもなく、それに似た安い服や靴をずっと探し続けている。かなり近い服を見つけたときは「一緒~~!!」と誰にも伝わらない感動を噛みしめている。最近はさまぁ~ずを担当しているスタイリストさん(純子さん)のTwitterもフォローした。放送中の番組で身につけている服や靴の情報を写真付きで教えてくれるという、なんとも誰得な(俺得だけど)ツイートをしてくれるのでとても重宝している。

 どの番組でもいえることだが、とにかく2人の仲が良すぎる。何十年も一緒にいるのにまだじゃれ合ってるおじさんたちをずっとずっと応援し続けようと思う。さまぁ〜ず×さまぁ〜ずの観覧に応募し続けようと思う。3年ぐらい前から応募しているが、一度も当たったことがない。

視力

 私は目が悪い。My eye is bad.

 ...史上最低の書き出しをブチかましてしまったが、とにかく小学生あたりからだんだんと視力が落ち続け、今の視力に落ち着いている。

 小さい頃、暗いところで本を読んだりゲームをしていると母親に「目ぇ悪くなるよ」とよく忠告されていた。当時の私は、この忠告の重大さを分かっていなかったため、生意気にも「へーい」と返事をしては同じ過ちを幾度となく繰り返していたのだった。

 やがて小学校高学年になるころには、視力検査に毎回ひっかかり、医者に行ってください的な黄色い薄い紙を毎回もらうようになっていた。この時すでに視力検査の下のほうは黒い点にしか見えていなかったが、4択25%の確率にかけて勘で「右!」とか言っていた。分からなくても適当に答える、なんとも迷惑なオールスター感謝祭スタイルをとっていた。医者によるアンサーチェックの結果、両目ともワイナイナ並みのスピードで視力が落ちていたのだった。

 中学生になり、さすがに黒板の字が見えなくなってきた。目が悪い人は席替えの時に申し出れば前のほうの席にしてもらえるという謎制度があったが、自分から先生に接近するような意欲高野郎でもなかったし、むしろできるだけ後ろのほうの席でダラダラしていたい意識低野郎だったのでメガネをつくることにした。このとき、コンタクトにするという選択肢はなかった。怖かったのである。結局ここから高3まではコンタクトをはめる勇気がなく、授業の時だけメガネをかけるという目への負担かけまくりの生活を送っていた。

 とうとうコンタクトをつける勇気を絞り出した私は、近所の眼科に検査を受けに行った。その眼科は数年前に出来た新しい施設で、白を基調としてとても綺麗なところだった。そして何よりこの眼科で特徴的なのが、女性スタッフの若さと数だ。男性スタッフが1,2人なのに対して女性スタッフはいつ行っても常に7、8人はいる。そんなに広い眼科ではないので、女性が多すぎるのは一目瞭然だった。しかもこの女性たちが皆美人で、見た目20代なのである。島田紳助似の院長の趣味なのだろうか。”目の保養”という意味では眼科にぴったりだが、ガールズバーかここは、というツッコミが聞こえてきそうな空間だった。

 私のコンタクトデビューを担当したのも、白衣を着崩しまくった茶髪ギャルだった。こちらの不安をよそに颯爽と視力を測り終え、人生初のコンタクト装着の時がやってきた。自分ではめる練習をする前に一度こちらではめてみるとギャルは言った。さすがギャルである。グイグイ私の眼球にコンタクトを押し込んできた。数年間怖がっていたことをギャルにあっさりと克服してもらった。貴重な体験である。

 ギャルのおかげでコンタクトデビューを果たした私は、1dayコンタクトを愛用している。ただし、左目だけ乱視が入っているので、普通のものより少し値段が高い乱視用を買わないといけないうえ、定期的に検査が必要なのである。母親には「目ぇ悪くなるよ」という超絶ざっくりした忠告ではなく、「視力落ちてメガネの期間を経てギャルにコンタクト押し込まれてお金かかるし定期的に検査行かなきゃいけなくなるよ」と具体的な忠告をしてほしかった。

習い事

 色々な習い事を試した少年時代だった。野球少年とよく遊んでいたら少年団に誘われたことがある。とりあえず見学だけでも、ということでヨレヨレのキャップとまったく手に馴染んでいない父親のグローブを持って練習に参加したが、打てない・捕れない・投げられないの三拍子が揃っている私は開始一時間で挫折、以来野球とはめっきり距離を置いている。将棋にハマっていた時期には友人に将棋教室を紹介してもらった。プレハブ小屋にパイプ椅子と長机、そして大量の老人が配置されている超アウェー空間だった。数人の老人と対戦したが、どの老人も幼い私の王将を容赦なく追い詰めていった。そこで当時の私は再び挫折し、タバコ臭いというめちゃくちゃな理由をつけてそれ以降そのプレハブ小屋に足を踏み入れることはなかった。その他にも書道やそろばんなどを習おうと試みたが、結局やらなかった。挫折の連続である。

 そんな中、唯一続いたのが水泳だ。小学1年生の頃から約6年間スイミングスクールに通い続けた。飽き性かつ運動音痴気味の私が、6年もの間水泳を続けていたのは今思えば奇跡だ。親の仕事の関係で小さい頃からプールに行くことが多く、水への恐怖心が人より少なかったことが功を奏したのかもしれない。

 スイミングスクールは週に一回で、レベル別で10人ほどのクラスに分かれてレベルに応じた練習に励んでおり、それぞれのクラスには担当の先生がついていた。色黒ゴリマッチョの先生、通称”こげぱん”が私たちの担当の時期があった。こげぱんはそのスクールで生徒たちからとても人気で、練習の休憩時間も生徒と話をしたりじゃれ合ったりして、面白くてカリスマ的な存在だった。ある日の休憩時間、”生徒を動物に例えると何か”という話をこげぱんがしていた。真っ黒に日焼けした指で生徒を指差しながら、「お前はライオンかなあ」とか「うさぎさんだな」とか一人一人を動物に例えていた。

 そしてこげぱんは私の前にやってきた。ワクワクしながら、何の動物に例えられるか静かに待っていた。

ナマケモノ!」

 こげぱんは人差し指を私に振りかざしながら言った。当時の私は耳を疑い、苦笑した。ナマケモノ?一日の大半を木の上で何もしないで過ごすアレ?しかも他の生徒を例えた時は「うーん」とか少しシンキングタイムがあったのに、私の時だけ即答である。よっぽどナマケモノフェイスだったのかもしれない。もしかすると、色んな事にすぐ挫折する私を単純に「この怠け者!」と罵倒したのかもしれない。